2012年04月05日

国際通り!



こんばんは、ウンテンです!



沖縄県のメインストリートと言えば



58号線58号線ですよね車ぶーん



コレ!国際通り』について勉強しようと思いましたが、58号線について調べたら面白いので!UP



国道58号線は、鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る一般国道である。鹿児島市内では700m程だが『朝日通り』の愛称がある。

九州・沖縄を通じて交通量がもっとも多い国道である。平成17年度道路交通センサスによる平日24時間交通量は、沖縄県浦添市勢理客で81,255台/日であり、九州・沖縄で第1位であった。ちなみに、第2位は国道202号長崎県長崎市大黒町長崎駅前(76,346台/日),第3位は国道3号福岡県糟屋郡新宮町大字三代(70,372台/日)
沖縄県内では、主に若者の間で「ゴーパチ」などと呼ばれている。




バス確かにウンテンもゴーパチと言いますが^^


;ゴーパチが鹿児島まで続いてるとは知りませんでしたぐすん


しかも九州で一番交通量が多いのが勢理客だなんてあかんべー 








本題に戻りまして


ある意味沖縄のメインストリートと言いましょうか・・・^^;


那覇市のメインストリート『国際通り』について調べてみましたコレ!



国際通り!
国際通り(こくさいどおり)は、那覇市の県庁北口交差点(パレットくもじ前交差点)から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称である。戦後の焼け野原から目覚しい発展を遂げたこと、長さがほぼ1マイルであることから、「奇跡の1マイル」とも呼ばれる。


沖縄戦後、米軍によって従前の那覇の中心地(現在の那覇市西・久米・辻付近)が接収されてしまい、人々は行き場を失っていた。まず、壺屋地区の窯業業者たちが産業復興を名目として入市。続いて牧志地区の瓦職人たちも入市が認められた。ほかの人々もみな窯業関係者や職人の親戚縁者を名乗って市内に入り始め、壷屋から牧志にかけてのガーブ川周辺や新県道近くに居ついて自然発生的に闇市が広がった。



国際通り!
1950年代前半の国際通り
1955年の国際通り1948年(昭和23年)には、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地に「アーニー・パイル国際劇場」という映画館が開館(現在のてんぶす那覇付近)。映画館にちなんで「国際通り」の名が定着した。

デパートなどの大店舗が集まる繁華街であったが、地域の繁華街としての役割は次第に周辺部へ移行し、大型ショッピングセンターは駐車場を確保できる郊外に、生活に密着した店舗はその裏通りにある平和通りやその周辺に移行した。国際通りの方は、その名が著名になるにつれ、観光客が増え、観光客向けの店舗が増加。
なお、地元住民の生活にかかわる商店街はその裏手の平和通りや「沖縄の台所」とも呼ばれている牧志公設市場など、この通りに隣接している。

国際通り!




国際通りにて、2007年(平成19年)2月11日より実施されている観光客優先・歩行者天国の事をトランジットマイルと言い、トランジットモールと「奇跡の1マイル」をかけた造語である。

国際通りで実施されるトランジットモールの通称であるが現在では「トランジットモール」が正式名称となっている。


また、日付は昨日になりますが(^^;
1874年(明治12年)4月4日は琉球藩を廃し沖縄県が誕生した日だそうです(*^^*)



またまた 『少マイル』


大きくなれましたラブ


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Posted by ウンテン at 00:44 │日々のこと